古琉球期の琉球から明朝への朝貢の状況(1372-1609)

古琉球期の琉球は、中国大陸や日本・朝鮮、さらには東南アジア諸地域に対して頻繁に交易船を派遣し、活発な海上交易活動を展開しました。琉球の交易は通常「中継貿易」と呼ばれますが、その基盤は中国の明朝との朝貢関係におかれていました。ここでは、かつて「明朝における朝貢国琉球の位置付けとその変化―14・15世紀を中心に―」(『東洋史研究』第57巻第4号、1-35頁、1999年)で用いたグラフによって、琉球から明朝へ派遣された朝貢使節の派遣頻度と派遣船数を提示しています。なお、以下のグラフ表示にはJavaScript(Plotrライブラリ)を使用していますが、元のグラフとは表示方式が若干異なっていることにご注意ください。データの引用につきましては、必ず上記原載論文を御参照いただきますようお願いいたします。

明朝との朝貢を開始した当初の琉球は、一般に「三山時代」と呼ばれている時期であり、中山・山南・山北の三つの勢力がそれぞれ並行して明朝に朝貢使節を派遣していました。下の表では、『明実録』から判明する「中山」「山南」「山北」各勢力からの朝貢使節派遣回数を、西暦の十年期単位でまとめてあります。また、『歴代宝案』がカバーする1420年代以降については、実際に派遣が確認できる船数を「朝貢船派遣総数」として、やはり十年期単位でまとめてあります(ただし、史料の欠落も少なくない点に注意)。

三山のうち、山北・山南は1420年代までに姿を消し、首里城に本拠を定めた中山の勢力が「琉球王国」としてさらなる発展を遂げていくこととなります。このグラフを見ると、琉球から明朝への朝貢は14世紀末から15世紀前半に最も盛んであったことがうかがえます。明朝への朝貢が徐々に減少してゆく15世紀中葉以降、第一尚氏から第二尚氏への王統交替と並行して、琉球王国の領域拡大・統治体制の整備が進められていくわけですが、この朝貢状況と政治変動の関係をどのように解釈すべきか?という問題は、私にとって重要な研究課題の一つとなっています。

十年期単位の琉球朝貢の変遷〜Horizontal oriented BarChart

凡例
期間中山山南山北朝貢船派遣総数
1370500
13801065
13901777
14001295
14102671
1420235033
1430290037
1440210029
1450240024
1460130019
1470100023
148070018
149040017
150060014
151070014
152050012
153050011
154060010
155030014
156070018
157070019
15805008
15905009
160060010

十年期単位の琉球朝貢の変遷〜Vertical oriented BarChart

凡例

十年期単位の琉球朝貢の変遷〜Vertical oriented LineChart

凡例

十年期単位の琉球朝貢の変遷〜Vertical oriented LineChart(Color-filled)

凡例


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