前近代における中国を中心とした国際体制については、早くは西嶋定生・J.K.フェアバンク等により検討されている。彼等は中国皇帝が王侯等を任命する「冊封」、そして中国皇帝に対し貢物を献上する「朝貢」が、東アジア・東南アジア等の国際秩序を規定し、さらに各地域の政治・文化等を方向付けたと論じる。
一方、明清朝の朝貢体制については近代の条約体制との対比から、浜下武志による「朝貢システム」論が提示されている。浜下は中国の優越性を認めつつも、多元的な朝貢関係の連鎖とそれに伴う地域システムの形成がヨーロッパによる近代条約体制の導入後も東アジア・東南アジアを規定したと論じる。
また、中国では李金明・李雲泉・陳尚勝など、近年多くの研究が上梓され、一つのトレンドとなりつつある。中国においては「朝貢貿易」における貿易の側面が重視されつつ、方法論としては典籍史料に基づく制度研究に偏るという一種の「ねじれ」が存在した。その中で正面から制度研究に取り組んだのが李雲泉『朝貢制度史論』であり、朝貢制度を通史的に検討した点で画期的である。『朝貢制度史論』は通史とはいえ、その議論の中心は明清代に置かれており、朝貢制度を総合的に論ずる上で明代の朝貢体制の解明が不可欠であることを示している。
以上の諸研究は明朝の朝貢体制について多くの知見を提供し、それが東アジア・東南アジア等の地域間交流に大きな影響を与えていること、さらにその構造の基礎を規定していることを示している。
それらとは別に、特定の朝貢国に即した研究も数多く存在する。特に史料の豊富な日明関係に関して極めて盛んであり、小葉田淳・田中健夫・村井章介・鄭?生をはじめ枚挙に暇がない。これらの研究成果は日明関係史に留まらず明朝史・中央ユーラシアの交流史に敷衍されている。しかし当時にあって特殊な存在であった日本の事例を典型として全体を論じる点、また研究関心が中国東南の海域交流に偏っており、内陸との交流を描く視点が不十分であるという点でバランスを欠いている。
近年は岩井茂樹・上田信等によって内陸と沿海の動向を連動するものと捉える研究が積み重ねられつつあるが、実証研究の蓄積と地域間交流システムの議論の間にはまだ埋めるべき溝が存在している。。
研究代表者である岡本はこれまで、明代の琉球王国にかかわる海上交流史の諸相について、主に琉明関係史を中心に解明してきた。琉球は明朝に対し頻繁に朝貢を行った国であり、また『歴代宝案』をはじめ関連史料・研究の蓄積も少なくない。だが、それだけに日明関係史研究と同じく特異な存在であり、より広い視野のもとにその位置づけを行う必要がある。
そこで岡本は明朝を中心とした国際秩序の構造とその変遷についての解明が肝要であると考え、既に2000年頃から「行為としての「朝貢」−古琉球を中心に−」、「朝貢の捉え方−『明実録』による朝貢事例表作成に向けて」、“The Ming Dynasty's "Tributary System" and Ryukyu: Focusing on Paying a Tribute as a Practice”(明朝の朝貢体制と琉球:行為としての朝貢を中心に)などの研究発表、及び「明朝の国際システムと海域世界」の執筆などを行ってきた(詳細は研究業績のページを参照)。しかし、本格的にこの問題に取り組むためにはより体系的な研究を進めるべく、本研究プロジェクトを申請、採択された。
本研究プロジェクトは、以下の三つのアプローチから研究を進める。
明朝において「貢道」と位置付けられた入貢地、具体的には寧波・福州・広州等の沿海港市及び義州・憑祥州・大同等の内陸城市について、相互比較しながら検討する。この作業を通じて、明朝の朝貢体制及びこれと連関するアジア広域交流システムの構造を媒介者・媒介地域の視点から明らかにする。同時に沿海と内陸においてその機能にどのような共通性・差異性が見いだせるかを明らかにする。
文献資料の整理・比較と並行して、各入貢地の現地調査を行なう。史跡・寺廟・碑刻・都市構造及び地理的諸条件の調査を通じて、域間交流・交易の結節点としての各入貢地の特性を明らかにする。さらに明代の関連文献資料と比較検討することによって、文献史料だけでは明らかにしえない境界・媒介地域での交流のあり方を明らかにする。
以上の各入貢地に即した検討・調査と併せて、明朝の編年体記録である『明実録』から朝貢事例記事をピックアップし、網羅的な朝貢事例表を作成して、各入貢地の朝貢体制における位置づけを総体的・統計的に把握する。作成した朝貢事例表は、データベースとしてインターネット上もしくは冊子体で広く公開する。
境界領域に注目して、地域間交流・交易の実態を解明しようとする研究は、個別地域に対しては数多く存在する。研究代表者も参加している「寧波地域における日明交流の総合的研究 —遣明使の入明記の総合的分析を通して—」、及びそれらを統括する文部科学省特定領域研究「東アジアの海域交流と日本伝統文化の形成—寧波を焦点とする学際的創生—」もその好例である。しかし、本研究の特色はそれらの境界地域を総体的・網羅的に研究対象として比較検討を行う点にある。
前述のように明代の朝貢体制については相当数の先行研究があるものの、その対象及び問題関心は偏っている。また網羅的な朝貢事例表も存在せず、情報量の不十分な『明史』に基づく朝貢状況の把握に留まっており、十分な実証研究の上に積み重ねられたものとは言い難い。
本研究においては、特に明朝の朝貢体制およびそれと連動する広域交流システムのあり方を全方位的に検討するものである。同時に相当の文献史料が利用可能である中国側の入貢地に注目することによって、実証面でも必要十分なレベルでの相互比較が可能となる。一般に朝貢を行う側は主に経済的な動機から、朝貢を受ける側は主に政治的な動機から朝貢行為に関わるとされるが、もちろん各朝貢主体と明朝との関係によって実態は異なる。このように朝貢主体毎に異なり、また朝貢主体と明朝の態度の間にも構造的なズレが存在する以上、そのズレを現実の朝貢行為の中で調和させる存在として、境界・媒介地域としての入貢地の果たした役割は極めて大きなものがあろう。
本研究の遂行によって、それらの実態が相互比較可能な形で明らかとなり、当時の広域交流システムを明朝側、あるいは日本など特定の地域の視点からのみではなく、総体として把握することが可能となる。さらにはその総体としての理解を踏まえて各地域の持つ特性や志向などについても理解がより深まることとなろう。