明朝の朝貢体制とユーラシア東部の地域間交流システムの連関を、朝貢ルートの結節点たる入貢地の機能の相互比較を通じて解明する。
ここで入貢地に着目する理由は、朝貢使節を派遣する側と受け入れる側が朝貢行為を通じて接触する際、両者の意図・認識のズレを引き受けるべき主体として、入貢地の地域社会の果たした役割が極めて重要だからである。
各朝貢国もしくは朝貢主体が朝貢使節を派遣する際、原則としてそれぞれ特定の入貢地が定められており、使節団の大部分は入貢地に留まって交易活動や外交・文化交流等の活動を展開していた。
本研究では特に中国側の朝貢体制が整備され近代国際秩序にも影響を与えた明代を主対象に、各入貢地が地域間交流システムの中で果たした役割を解明し、皇帝を頂点とする理念的秩序とは異なる地域間交流の実態を明らかにする。
その際、日明関係における寧波、琉明関係における福州など特定の入貢地に偏ることなく、陸路入貢する朝鮮・安南・西域諸国等のケースも含めて、沿海・内陸を併せて網羅的に検討を加える。
研究に当たっては必ず現地調査を行い、文献史料から明らかになる史実とすり合わせて、一極集中ではない、入貢地の持つ媒介機能を中心に据えた地域間交流の有り様を浮き彫りにするものである。