明清両朝への朝貢のため、福州から北京に至るまでの道程を往来した琉球使節の中には、中途で命を落とした者も少なくありませんでした。 彼らの墓跡はその多くが琉球使節の入貢地である福州に残されていますが、その他の地域に現存している例は非常に少なく、その中でもよく知られているものに鄭文英の墓跡があります。 鄭文英は、朝京都通事に任ぜられて琉球からの朝貢使節に随同し、乾隆五十八年(1793)冬、北京に赴く途中に淮陰の地で客死した人物です。 彼の墓所は現在の江蘇省淮安市淮陰区にありますが、その位置をGoogleMapsで示したのが上の地図です。 中央に見える黒丸が鄭文英の墓、その下の点が墓碑と思われます。 現在GoogleMapsでは中国大陸の詳細地図は用意されていないようなので、ズームアウトして位置を確認してください。